Profile – 山田拓路

プロフィール

山田 拓路   YAMADA Takuji

行政書士/保育士/日本語教師/認定ファンドレイザー

 

NPO法人メタノイア 代表理事、

山田国際行政書士事務所 代表行政書士(申請取次)。

 

 

1985年生まれ、兵庫県出身。関西学院大学法学部卒。

 

愛知県のフィリピン学校「ELCC 国際子ども学校」に勤務した後、NPO法人「可児ミッション」事務局長などとしてフィリピンにルーツをもつ子どもを対象とした保育所や日本語教室を岐阜県内に開設、園長・教室長を務める。

 

2018年カナダ・トロント大学にてNon-Profit Leadership for Impact サーティフィケート取得。

 

2019年からNPO法人青少年自立援助センター「YSCグローバル・スクール」に入職。主にオンライン日本語教育システム「NICOプロジェクト」、「みんなでつくるインクルーシブ社会 minc」事業担当。

 

2021年、NPO法人メタノイアを設立し、代表理事に就任。

同年、東京都行政書士会登録の行政書士として山田国際行政書士事務所を開業。

現在に至る。

 

行政書士(申請取次)、保育士、日本語教師、認定ファンドレイザー

 

 

 

講演・執筆等の実績

2021年

講演

07月29日 わっぱの会 minc研修:『やさしい日本語 書きことば編②』

07月20日 順天高等学校:『外国にルーツをもつ子どもたち』

07月15日 わっぱの会 minc研修:『やさしい日本語 書きことば編①』

06月02日 立川市生涯学習推進センター 幸学習館 「多文化共生・国際理解講座」:『海外ルーツの子どもの学び』

05月27日 とよなか国際交流協会 「2021多文化子育て支援ボランティア養成講座 第1回」:『多文化保育の実践と外国ルーツの子どもにまつわる課題について』

02月23日 東広島市教育文化振興事業団 第2回 「はじめての国際交流ボランティア」:『英語を使わなくてもできる 外国人との「やさしい日本語」コミュニケーション 〜防災の取組みを中心に〜』

02月07日 東広島市教育文化振興事業団 第1回 「はじめての国際交流ボランティア」:『外国人住民と共に生きる地域づくり 〜ボランティアをはじめる第一歩の心構え〜』

 

2020年

講演

1119日 三⽥国際学園⾼等学校:『教育と多様性』

08月09日 一般社団法人shelf〈東京で(国)境をこえる〉:『海外にルーツを持つ人たちとのコミュニケーション』

06月24日 学生団体ミノリタス『海外ルーツ青少年の 現状と課題』

06月16日 YSCグローバル・スクール「minc 公益活動等支援者向けオンライン連続講座」:『海外ルーツ青少年支援入門』 vol.1

06月12日 大阪国際交流センター「外国にルーツをもつ子ども支援ネットワーク大阪 活動ボランティア向けZoomスキルアップ研修」:子ども支援教室のオンライン授業導入について』

03月07日 【緊急企画】自宅で学べる「多文化共生」第一回:『これからの多文化保育』

メディア掲載・執筆記事

 

2019年

講演

1221日 「日本語教育推進法」国際フォーラム in かながわ:『日本語教育と多文化保育』

12月05日 朝霞市教育委員会「朝霧市企業人権教育研修会」:『人がつながる「やさしい日本語」』

1129日 茨城県教育委員会「人権教育指導者地区別研修会」:『外国にルーツを持つ子ども・若者の現状と課題』

0826日 GEIL 学生のための政策立案コンテスト2019「多文化共生社会」:『言語教育・教育』

0716日 三⽥国際学園⾼等学校:『教育と多様性』

06月13日 中央大学商学部1年生ゼミ(異文化間コミュニケーション):『教育現場と多文化共生』

06月01日 NPO法人Home for Hope 事業報告会:クロストーク

03月17日 福生市公民館・白梅分館:『やさしい日本語ワークショップ』

メディア掲載・執筆記事

 

 

 

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学生時代、釜ヶ崎やフィリピンに行った。

そこには、社会の端に追いやられて痛みながら生きる人たちがいた。

 

追いやったのは、まぎれもない私たち。

 

にもかかわらず、かれらの多くは会えば笑顔を浮かべてくれた。

人生に対するかすかな諦めを背負いながら、それでも。

 

 

自分はどこに立って生きるべきか。

 

 

思い巡らしたあげく、大学を出てすぐ名古屋市近郊のフィリピン人学校を営む非営利組織(NPO)に就職した。

 

それから岐阜に移って保育所を作り、フィリピンから来た子どもたちをあずかったりもした。

 

しかし、様々な出来事を経て、9年勤めたその職場を離れることにした。

 

それまでの間、行政は少なからず動いてくれた。多くの仲間も集まってくれた。

 

社会はある程度変わったかもしれない。

 

しかし、ある程度しか変えられなかった。

 

 

 

2017年4月、カナダに渡り、大学のコースをとって非営利組織のあり方を学ぶことにした。

 

 

2018年、日本に帰ったらまた前の続きをやろうと思う。

 

おそらくいちから始めることになるだろうけれど。

 

 

 

この社会は今のところ、端の方の人が、自分の人生をいくらか諦めながら生きるしかない構造になっていると思う。

 

しかし、私はそんな社会に生きていたいとは思えない。

 

そして、それは、きっと変えられる。

 

・・・

 

そう信じてきたやってきた。

にもかかわらず、私は身をもって知ることになった。

 

 

まぎれもないこの手で、これまで自分が命がけで手を差し伸べてきた人たちの人生に影を落としてしまう時があることを。

 

 

そしてかれらもまた、誰かの人生を脅かす存在になり得ることも。

 

 

時には、不意に手が届かないところへ旅立ってしまう人さえいた。

 

 

 

それでも、やり続ける理由は何か?

 

 

 

 

20歳のときにマニラの路上で出会ったこの少年が、

ごみを掻き分けながら浮かべた笑顔。

そして、やはりどこかに漂わせていた諦め。

 

 

しかし、それは彼自身の人生に対する諦めだけではなかったと思う。

 

きっと、私に対する諦めでもあったのだ。

 

「しょうがないんだよね?」

 

 

 

 

今のままでは、まだ目を合わせることができない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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