しるこサンドとバンクーバー

出発

 

4月24日、とりあえずバンクーバーへ旅に出た。ビザは1年間のワーキングホリデー、就労許可である。しかし働くかどうかはまだ決めていない。

 

ここしばらくの間、出発に際して僕の周りの優しい皆さんは「へー、バンクーバーいいね。楽しんできて」と背中を押してくれた。しかし、それに続けて、ほとんど誰もが次の鋭い質問を放ってくるのである。

「で、何しに行くの?」

 

うまく答えられたことは一度もない。いつも口ごもってしまう。何しに行くのか分からないのだ、自分でも。だから今のところ、「行きたいから行く」以上の答えが思いつけない。

 

そして、この旅の指針になるテーマのようなも今ひとつ決まっていない。小田実は「なんでも見てやろう」と決め、沢木耕太郎は「デリーからロンドンまで乗合バスで行く」と決めて旅に出た。だが、僕にはそれがない。

まったくないわけではないが、しっくりくるものが見つかっていない。あえて言えば、社会の不条理な苦しみを生む仕組みを何とか変えようと地道にその壁に向き合う人たちに会って、自分自身が励まされたいのだと思う。だから、「壁をこつこつ叩き続ける人に会いに行く」ということになるのかもしれない。

 

 

エア・チャイナ

 

今回の旅程では、バンクーバーへの直通便ではなく、中国の北京経由でたどり着く予定である。従って、中部国際空港からエア・チャイナに搭乗した。

 

 

名古屋発北京行きの飛行機の客層は、9割がた中国人といったところで、中国語が飛び交っている。

 

満席ではなく、隣は空席だった。3人がけに中国人とおぼしきおばちゃんと、僕とで座り、真ん中が空いているという状態である。そのおばちゃんは離陸後の安定飛行状態に移ってすぐ、その空席の付属テーブルや席上に荷物やお菓子をどんどん並べ始めた。僕もあまり気にせず、むしろ自分もゴミや使わないものを少し置かせてもらった。

 

そのこと自体は特段珍しいことではないかもしれない。気に障ることもない。しかし、そこに中国人と日本人の空気の違いのようなものをかすかに感じた。いわゆる気の遣い方が、微妙に違うのだ(善し悪しの問題とは別に)。

 

同じ名古屋発の飛行機に乗った人だから、日本にしばらく滞在していたのだろう。こういう気の遣い方の違いが中国人と日本人の気持ちの上での小さな摩擦の原因になっているのかもしれないなと思う。観光か仕事での滞在かは分からないが、もし長期滞在なら、この人がそのままの感覚で日本に暮らすのは結構苦労したのではないか、と感じた。

 

しかし、これは習慣や感覚の違いであって、優劣とは別問題だと思う。

 

機内食が運ばれるアナウンスがあり、僕たちの席に順番が回ってきた。隣のおばちゃんがトレイを受け取った時、添えられていたキットカット(個包装)が床に落ちてしまった

 

 

それを、あろうことか、中国人CA(キャビンアテンダント)が拾って、そのままトレイの上にまた置いたのである。そして、当のおばちゃんは気にする素振りも見せない。

 

これが日本の習慣の中でなら、激怒する人もいるだろう。「床に落ちたものをお盆の上に戻すとはどういうことだ!」と。僕もそれをされたらちょっと引いてしまう。先に「あろうことか」と書いたのもそういう感覚からである。

 

しかし、中国人同士は気にしていない。トラブルには全くならなかった。そして小さなことだが、キットカットがゴミとして食品ロスになることもなかった。

 

昨今の「日本人はスバラシイ」と吹いて回る自己礼賛テレビ番組を思うにつけ、習慣とか感覚に優劣はやはりつけがたいのではないかと考えてしまう。

 

そして、その場の空気はマジョリティが規定するものだとも思う。

 

 

機内食

 

何はともあれ、機内の窓の向こうに広がる100%の青空を眺めていると、少しずつバンクーバーへ向かっている実感が湧いてきて、高揚した気分になってきた。

 

 

異国、ことに世界の中でも住みやすい街ランキング上位の常連で、オシャレなカフェが立ち並ぶバンクーバーに向かうということは、これを書いている機内の席から既に、背筋が伸びるような気になる。同時に、少し緊張もする。

なにかこちらまでオシャレに合わせなきゃいけないような気になってきてしまう。土台無理なのに。

 

隣のおばちゃんに次いで、僕もCAに「鶏か牛か」と訊かれたため、「牛」と答えた。そして機内食のトレイが手渡された。

 

 

キットカットと茶そばの麺つゆ。中華風牛の煮込み。もはや食のるつぼメニューだ。ダイバシティである。

 

しかし、キットカットの下に隠れていたのは、

 

 

あろうことか、しるこサンドである。我が名古屋のソウルスナックだ。

バンクーバーの街並みに思いを馳せていたところだったが、しるこサンドである。これによって脳みそがぐいと名古屋に引き戻されてしまった。バンクーバーとしるこサンドとの間には、太平洋ほどの隔たりがある。

しかし、僕は「コメダの小倉トースト」や「山本屋の味噌煮込みうどん」や「しるこサンド」といった名古屋のソウルフードたちには何とも言えない愛着を覚える。僕の出身は関西だが両親は名古屋で生まれ育ったため、名古屋文化は実家の匂いがするのである。

 

これから先、おそらく何度も「おれは日本人だ、名古屋から来た、出身は関西だ」というようなことを喋ることになるだろう。その度に自分はどこから来た誰なのかを再確認することになると思う。いくらカナダかぶれしたとしても、僕は日本人なのだ。今回の旅が、自分のアイデンティティを客観的に眺め、確かめるための良い機会になるかもしれない。

 

 

この名古屋のソウルスナック・しるこサンド。

製造は名古屋近郊の会社だが、「売り」は北海道産小豆である。名古屋のソウルをいとも簡単に手放しているこのちぐはぐさがまた何とも言えない。

程よい甘さのしるこサンドに手が止まらなくなってきた。

間もなく北京である。バンクーバーへの乗り継ぎ地点だ。

 

 

 

 

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