マーク・ザッカーバーグのハーバード大学2017年卒業式スピーチ【日本語訳】− Mark Zuckerberg’s Commencement address at Harvard (translated into Japanese)

ハーバード大学の2017年卒業式におけるマーク・ザッカーバーグ(Facebook CEO・創設者)の祝辞があまりに良かったので、日本語で書き起こしました。

 

もとの動画はこちら。

 

【英語版】

 

 

英語版とともに、日本語字幕付きの動画もYouTubeには上がっていますので、お時間のある方はこちらをじっくりご覧いただいても、と思います。

 

【日本語字幕版】

 

以下、私なりの解釈をもとに翻訳をした、スピーチ全文の書き起こしです。

 

 

 

マーク・ザッカーバーグによる祝辞

 

ここに立つのは気持ちいいですね(笑)。

こんな雨の、しかも土砂降りのなか、みなさん来てくださってありがとうございます。この卒業式をぜひ良いものにしましょう!

 

ファウスト総長、監督委員会、教職員、友人、同窓生、誇らしげな保護者のみなさん、それから諮問委員会のメンバー(笑)(学生時代にマークを停学処分にした委員会)、そして世界最高の大学を卒業するみなさん!ぼくは今日みなさんといっしょにここにいられることを光栄に思っています。ぼくが今日この祝辞をちゃんと終えることができれば、ハーバードで初めて何かを成し遂げたことになりますね(笑)(マークは同大学を中退)

 

2017年卒業生のみなさん、おめでとうございます!

 

ぼくはこの大学を中退していますが、それだけでなく、むしろ卒業生のみなさんと同世代という意味で、ちょっと変わったスピーカーかもしれません。10年もたたないうちに、ぼくがしたのと同じようにみなさんもこの庭を歩き回り、同じことを学び、同じEC10(経済学)の講義で居眠りしたわけです(笑)。ぼくたちはそれぞれここに至るまで別々の道を歩んできたにもかかわらず。

 

今日は、ぼくらの世代について、そしてぼくらがいっしょに創りあげているこの世界について、これまで学んだことをみなさんと分かち合いたいと思います。

 

その前に少し。

ここ数日、ぼくは懐かしい思い出にひたっていました。このなかでハーバードからの合格通知メールを受け取ったとき、どこで何をしていたかはっきり思い出せる人はどれくらいいますか?

 

ぼくはちょうど『シビリゼーション』というゲームをしていたときだったんですが、一階に駆け下りていって通知メールを見ようとしたら、なぜか父さんがビデオを回し始めていました。(もし不合格通知だったら)それはめちゃくちゃ悲しいビデオになったかもしれないのに・・!(マークの母は笑う)

 

両親がぼくについていちばん誇りに思っていることは、間違いなく、いまだに「ハーバード大学合格」です(笑)。・・ほら、あそこで母さんがうなずいてる。

 

 

じゃあ、ハーバードで最初に受けた講義のことを覚えている人は?

ぼくにとっての最初の講義『コンピュータ科学121』の担当は、こちらのハリー・ルイス先生でした!(ハリー先生本人を指して拍手)

 

その日、ぼくは遅刻したので、Tシャツをかぶって家を飛び出したんですが、それが前後ろも表裏も逆で、背中のラベルが前に出てきちゃっていたんです。ぼくは、なんで教室で誰も自分に話しかけてこないのか分かりませんでした 。ただ一人、KXジンを除いては。彼だけは話しかけにきてくれた。それからぼくたちはいっしょに宿題をやるようになって、彼はいまでもFacebookで重要な役割を担ってくれています。

だから2017年卒業生のみなさん、人には親切にするべきですよ!(笑)

 

でも、ぼくにとってハーバードでの最高の思い出は、プリシラ(妻)に出会ったことです。

ぼくが例のいたずらウェブサイト(笑)「フェイスマッシュ」(大学のネットワークをハッキングした出会い系のようなサイト)を立ち上げたばかりのころ、諮問委員会がぼくに「会いたい」と言ってきました。 それでみんなぼくが退学になるんだと思ったみたいです。ぼくの両親は荷物をまとめるのを手伝いに来てくれたくらいです。友だちみんなはお別れパーティーまで開いてくれました。ふつう、そこまでします!?(笑)

でもそのとき、たまたまプリシラはそのパーティーに友だちと来ていました。ぼくたちはフォホ・ベルタワーのトイレ待ちの列で会ったので、そこでぼくはかつてないほどロマンチックなセリフを放ちました。「ぼくはあと3日で退学になっちゃうんだ。だから、いますぐデートに行こう!」(笑)(プリシラうなずく)

 

みんな、このセリフ使ってもいいですよ。

「もうすぐ退学になっちゃうから、早くデートしよう!」って。

 

 

結局、そのときぼくは退学処分にならず、むしろ後で自分から退学したんですが。とにかくそれで、プリシラとぼくは付き合い始めました。ご存知のとおり映画『ソーシャル・ネットワーク』では、フェイスマッシュが、Facebookの設立にとって非常に重要だったかのように描かれています。でもそうじゃない。ただ、フェイスマッシュがなければプリシラに会うこともなかった。彼女はぼくの人生において最も大切な人です。だからある意味で、それはここで作った一番重要なものだったと言えるのかもしれないですね。(プリシラは涙をぬぐう)

 

ぼくたちはみんなここで生涯の友や、中には家族になる人と出会ったりもしました。だからぼくはこの場所にとても感謝しています。ありがとう、ハーバード。

 

 

誰もが「目的の感覚」を持てる世界

今日ぼくは、「目的」の話をしたいと思っています。でも、よくある「生きる目的を見つけましょう」みたいな話ではありません。ぼくたちはミレニアル世代です。本能的に目的を見つけようとしています。そのかわり、ぼくはみなさんに、自分の生きる目的を見つけるだけではまだ十分じゃない、ということを話すためここに来ました。ぼくたち世代が取り組むべき課題は、誰もが目的の感覚を持てる世界を創りあげることです。

 

ぼくの好きな話をひとつ。ジョン・F・ケネディ大統領がNASA宇宙センターを訪問したとき、彼はホウキを持っていた掃除係を見かけたので、近づいて行って、何をしているのかと尋ねました。その掃除係は答えました。「大統領、私は人類を月に立たせる手伝いをしているのです。」

 

目的とは、ぼくたちが自分よりも大きなものの一部であり、ぼくたちが必要とされていて、働いた先になにかもっと良いものがある、という感覚です。

目的が、本当の幸せを創造するのです。

 

 

みなさんが卒業するいま、特にそれが重要な時代になってきています。ぼくらの両親が大学を卒業したころは、職場、教会、地域社会から、目的が確かに得られていました。しかし現在、技術の進化や自動化によって、多くの仕事は奪われつつあります。コミュニティへの帰属意識は薄れている。多くの人々は分断されていると感じて落ち込み、その空白を埋めようとしています。

 

ぼくが旅して回っていたとき、ある少年院で薬物中毒の子どもたちが「なにか他にやることがあれば、放課後児童クラブかどこか行くとこがあれば、自分たちの人生は違っていたかも」とぼくに話してくれました。あるいは、昔の仕事はもう二度と戻ってこないと知って、次の居場所を見つけようとしている工場労働者たちにも会いました。

 

社会を前進させるためぼくたちの世代に与えられている課題は、新たな雇用の創出だけじゃなくて、目的がある感覚を新たに創り出すということです。

 

 

 

ぼくは今でもカークランド・ハウスの寮の小さな部屋からFacebookを始めた夜のことを覚えています。友人KXと一緒にノックス(ピザ屋)に行って、「ハーバードのコミュニティをつなぐことができたのは嬉しいんだけど、でもいつか誰かがこの世界全体をつなぐだろうな」と彼に言ったことをいまも覚えています。

 

 

そう、その「誰か」が自分たちかもしれないということには、思いもよりませんでした。ぼくらはただの学生で、なにも知らなかった。あらゆるリソースにあふれたどこかの大手IT企業がそれをするんだろうと思っていました。しかし、このことだけは分かっていました – すべての人がつながりたいと思っているということだけは。だからぼくたちは、毎日前に進みつづけました。

 

 

みなさんの多くも、いずれ同じような経験をするでしょう。ある変化が世界に起きることを確信したとき、あなたはこう思うはずです。「きっと誰かがそれをするんだろうな」と。でも誰もやりません。あなたがやるんです。

 

ただし、自分の目的を持っているだけではダメです。みなさんは、他の人のためにも目的の感覚を創り出さなければなりません。

 

ぼくは、やっとそのことを見つけ出しました。ぼくの望みは会社を作ることなんかじゃなく、社会にインパクトを生むことでした。多くの人がぼくたちの動きに加わりはじめたので、みんながぼくと同じように考えていると思いこんで、自分が何を望んでいるかについてはまったく人に説明しませんでした。

 

何年かして、大企業がぼくらの会社を買収したがるようになりました。ぼくは売りたくなかった。ぼくらがどれだけ多くの人をつなぐことができるか、見てみたかったからです。ぼくたちはそのとき最初のニュースフィードを作っていましたが、それがうまくいけば、人が世界を知る方法を一変させられると感じていました。

 

ほとんどみんな会社を売りたがっていました。より大きな目的の感覚もなくそのまま売ってしまっていたら、(お金をもうけるという)ベンチャー企業としての夢は叶ったことになったと思います。会社はバラバラになっていきました。ある緊迫した議論のあと、顧問の一人はぼくにこう言いました。「売却に同意しなかったらきみは一生後悔するよ」と。 関係は破綻し、1年くらいで経営陣の全員が去っていきました。

 

それはぼくがFacebookを率いてきた中で、いちばん大変な時期でした。 自分たちがやっていることを信じてはいましたが、ぼくは孤独でした。そして何より、それはぼく自身の失敗でもありました。自分はただ間違っていたのか、詐欺を働いたのか、世界がどう回っているかも知らない22歳の子どもに過ぎなかっただけなのか。悩みました。

 

それから何年もたった今のぼくには理解できます。高い目的の感覚がない場合には、そうなってしまうということを。みんなが一緒に前進し続けることができるような目的の感覚を創り上げられるかどうかは、ぼくたち自身にかかっています。

 

 

 

今日、ぼくは誰もが目的の感覚をもつ世界を創造する3つの方法について話したいと思います。

 

①意味ある大きなプロジェクトを一緒に進める。

②平等を再定義して誰もが目的を追求する自由を持つ。

③世界規模のコミュニティを構築する。

 

 

1つめ。大きな意味のあるプロジェクトを始めましょう。

① 意味ある大きなプロジェクトを一緒に進める

ぼくらの世代は、自動運転の車やトラックのようなオートメーションによって置き換えられる多くの仕事について考えなければなりません。しかし、ぼくたちにはもっと手を携えあえる可能性があります。

 

あらゆる世代が、それぞれ特徴的な働きをしてきました。30万人以上の人々が月に人を送るために働きました、掃除係も含めて。あるいは、何百万人ものボランティアが世界中の子どもたちにポリオの予防接種を行いました。何百万人もの人々がフーバー・ダム建設やその他の素晴らしいプロジェクトを実行しました。

 

これらのプロジェクトは、その仕事に携わる人たちだけに目的を与えたのではなく、この国のぼくたち全員に、偉大なことを成し遂げられるという誇りを与えてくれました。

 

これから偉業を成し遂げるのは、ぼくたちです。あなたはおそらく、「どうやってダムを建設するかなんて知らないし、何百万の人々をまとめる方法も知らないよ」と考えているでしょう。

 

しかし、ぼくはあなたにある秘密をお教えしましょう。それは、始めなければ成し遂げる方法なんて誰にも分からない、ということです。アイデアは完全な形をとって現れることはありません。それはあなたが取り組んではじめて姿をあらわします。とにかくまず始めることです。

 

あらかじめ人をつなぐことについてすべて理解していなければならなかったなら、ぼくはFacebookを始めることはできなかったでしょう。

 

映画やポップカルチャーは、間違いを広げることがあります。いつか奇跡的なひらめきの瞬間がやってくるものだ、というのは危険なウソです。そういう時が訪れないからもうダメなんだ、みたいな気分にさせられます。それは、良いアイデアの種を持つ人たちが何か始める時の妨げになってしまいます。

 

そうそう、ほかに映画がイノベーションについて間違いを言っている例を知っています?いいですか、誰もガラスに数式なんて書きません(笑)(注:映画『ソーシャル・ネットワーク』で登場人物がガラスに数式を書いていた)。そんなことするわけないよ!でしょ!?

 

 

理想主義は良いことです。でも、誤解を受ける心の準備はしておいてください。例え最後には正しさが証明されるとしても、大きなビジョンに取り組んでいる人はみんな変人と呼ばれるでしょう。複雑な問題に取り組んでいる人は、すべてのことを知るのは不可能であるにもかかわらず、課題を十分に理解していないと非難されるでしょう。主導権を握っている人たちはみんな、まわりには常に足を引っ張りたいと思っている人たちがいて、拙速だと批判してくるでしょう。

 

 

失敗を恐れて大きなことをしない、というのは、この社会でよくあることです。何もしなければ、今の社会の間違いを見過ごしにしてしまうにもかかわらず。実際、ぼくたちがすることは何でも将来なにかしらの問題を抱えます。しかし、だからと言ってぼくたちが何か始めるのを止めることはできません。

 

 

じゃあ、いったい何を待ってるんでしょう?今こそ、ぼくたちの世代が偉業を成し遂げる時です。地球が壊れてしまう前に気候変動を止め、何百万もの人々がソーラパネルの製造と設置に携わるっていうのはどうですか?あらゆる病気を治し、ボランティアに自分の健康データを追跡してゲノムを共有してもらうようお願いするのはどうですか?いま治療法の開発や病気の予防に比べて、病気にかかってしまった人を治すのに50倍以上の費用を使っています。そんなの意味わからないよ!これは変えられます。あるいは、民主主義を近代化してみんながオンラインで投票できるようにしたり、誰もが自由に学ぶことができるよう教育をパーソナライズしたりするっていうのはどうですか?

 

 

これらの成果はぼくたちの手の届くところにあります。ぼくたちの社会の誰もが役割を果たして、全部やりましょう。ただ進歩を生み出すだけでなく、目的を創り出すために、大きなことをしよう。

 

だから大きな意味のあるプロジェクトを引き受けることは、みんなが目的の感覚を持っている世界を創るためにできる最初の一歩です。

 

 

 

 

② 平等を再定義して誰もが目的を追求する自由を持つ

2つめは、目的を追求するために必要な自由を誰もが得られるよう、平等を再定義することです。

 

 

ぼくたちの親世代の多くは、安定したキャリアを積んできました。今は、なにか事業を起こしていようが、仕事を探し始めようが、役割を担っていようが、ぼくたちはみんな起業家です。それは素晴らしいことです。起業家精神の文化は、ぼくたちを大きく進歩させてくれます。

 

 

新しいアイデアをどんどん試すことができれば、起業家文化は成長を遂げます。Facebookは、ぼくが作った最初のものではありません。ぼくはチャットシステム、ゲーム、学習ツール、音楽プレイヤーも作りました。ぼくだけじゃない。 J.K.ローリングは『ハリー・ポッター』を出すまで、12回も出版を断られました。ビヨンセでさえ、『ヘイロー』にたどり着くまで何百もの歌を作らなければならなかった。最大の成功は、失敗する自由から生まれるんです。

 

でもいま、我々みんなを傷つける貧富の差があります。アイデアを形にして歴史に残るような企業を起こす自由がなければ、それはぼくらの敗北です。いまこの社会は成功を収めた人には過剰なほどの報酬が与えられますが、誰もが気軽にいろんなことを試せるような環境は整っていません。

 

現実に向き合いましょう。ぼくがここを離れて10年で何十億ドルも手にすることができた一方、何百万人もの学生が自分の奨学金を返済する余裕すらないのは、社会のシステムに何か問題があるからです。

 

 

ぼくはたくさんの起業家を知っていますが、ビジネスを始めるとき、十分お金を稼げなさそうだからといってあきらめた人を一人も知りません。でも、失敗して倒れたときのためのクッションを持っていないから夢を追い求めない人は、たくさん知っています。

 

良いアイデアと努力さえあれば誰でも成功できる、というわけではありません。運も必要です。もしぼくが家族を養わなければならずコードを書く時間がなかったら、またFacebookがうまくいかなかったとしてもなんとかなる環境になかったら、今日ここに立っていることはなかったでしょう。正直、ぼくたちはどれほど運に恵まれてきたことか。

 

これまで各世代が平等の定義を広げてきました。前の世代は参政権と市民権のために闘いました。「ニューディール政策」と「グレート・ソサイエティ政策」がありました。いまこそ、ぼくら世代のための新しい社会を定義する時です。

 

GDPのような経済指標だけでなく、我々のうち、意味を感じられる役割を社会のなかで果たしている人はどれだけいるか、を進歩の指標とするような社会であるべきです。たとえばユニバーサル・ベーシックインカムのようなアイデアを探求するために、誰もが新しいものを試せる「クッション」をあてがわれているべきでしょう。

 

ぼくらは転職を繰り返すこともある。だから、手頃な価格の保育サービスや、会社への所属にしばられない保険制度が必要です。ぼくたちはみんな失敗するんだから、そのたびに叩かれて身動きがとれなくなったり、負け犬の烙印を押されたりしないような社会を創らなくてはいけません。あるいは、テクノロジーは進化し続けるんだから、みんなが生涯をとおして学習を続けられる環境を築かなくては。

 

 

そして、そう、みんなが目的を追求できる自由は、タダじゃ実現しません。それにかかるお金は、ぼくのような人間が払うべきです。みなさんの人生もきっとうまくいくでしょうから、同じようにすべきです。

 

 

だからこそプリシラとぼくは、チャン・ザッカーバーグ・イニシアティブを始めて、平等な機会を広げるために自分たちの財産を投じたんです。これはぼくたち世代にとってあたりまえの価値観です。ぼくらはこれをやることに何の疑問ももたなかった。問題は、いつやるかだけでした。

 

ミレニアル世代は、これまでで最も社会貢献に関心のある世代です。1年間で、アメリカのミレニアル世代4人のうち3人が寄付をし、10人中7人が募金活動に参加しました。

 

お金だけじゃない。時間を使うことだってできる。週に1〜2時間手を貸すだけで、誰かの潜在能力を開花させることができますよ。

 

 

「そんな時間はないよ」と思うかもしれない。ぼくもそうでした。プリシラがハーバードを卒業して教師になったとき、彼女はぼくに、いっしょに教育に関する活動をする前に教室で子どもに何か教える経験をした方がいいと言ったんです。ぼくは文句を言いました。「ほら、いちおうぼくも忙しいんだよ。会社の経営とかやっててさ」。それでも彼女は主張を曲げなかったので、ぼくは地元の少年少女クラブの放課後プログラムで起業家精神について教え始めました。

 

ぼくは子どもたちにプロダクト開発とマーケティングについて教えて、子どもたちは自分の人種が社会から目の敵にされる時や、家族が刑務所にいる時の気持ちがどんなのかを教えてくれました。ぼくは自分の学生時代のことを話して、かれらは大学に行く夢について語ってくれました。この5年間、ぼくは毎月その子たちと食事をしに行っています。そのうちの1人は、ぼくとプリシラに最初のベビーシャワー(出産祝いパーティー)を開いてくれました。来年、かれらは大学に行く予定です。全員です。かれらは、一族の中で大学進学を果たした初めての世代になります。

 

ぼくらはみんな、誰かに手を差し伸べる時間を作れるはずです。誰もが自分の目的を追求できる自由を得られるようにしよう。それが正しい行いだからそうすべきなんだと言っているんじゃなくて、もし今よりもっと多くの人が自分のもっている夢を何かすごいものに変えられたら、それはぼくらみんなの社会をもっと良くすることになるからです。

 

③ 世界規模のコミュニティを構築する

目的は、職場からしか生まれないわけではありません。ぼくたちが、みんなのために目的の感覚を創り出すことができる第3の方法は、コミュニティを構築することです。そして、ぼくたち世代が「みんな」と言う時、それは世界中すべての人を意味します。

 

ちょっと手をあげてみてください。みなさんのうち、国外から来ている人は?(該当者が挙手)

手をあげたままで、じゃあ、自分はこの人たちの友だちだっていう人は?(多くの人が挙手)

ほらね!ぼくたちは、こうやってつながりながら育ってきました。

 

 

世界中のミレニアル世代に「自分のアイデンティティをどう定義するか?」というアンケートをとったとき、一番多かったのは、自分の国籍や民族や宗教を答えたものではなく、「世界市民」という回答でした。これは大事なことです。

 

 

すべての世代が「自分たち」の概念の輪を広げてきています。そして今やぼくたち世代は世界全体を網羅しています。

 

 

人類の歴史において我々は、部族から都市、国家へと大きな弧を描き、より多くの人々が集まって自分たちだけではなし得なかったことを達成してきました。

 

 

そしていま、最大のチャンスはグローバル規模で訪れています。ぼくたちは、貧困や病気をこの世からなくす世代になれる。大きな課題にはグローバルな対応が必要です。どの国も、気候変動や伝染病拡大を一国だけで防ぐことはできません。その課題解決のためには、都市や国家としてだけでなく、グローバル・コミュニティとして協力しあう必要があります。

 

 

しかし、ぼくらは不安定な時代に生きています。グローバリゼーションから取り残されている人たちが世界中にいます。とは言え、ぼくたち自身が自分の暮らしに満足していないかぎり、他のところで暮らす他人のことまで気にかけるのは難しい。そういうときには、内向きの不満が頭をもたげます。

 

 

それは、この時代の闘いです。権威主義、孤立、ナショナリズムの力に対する自由、開放性、グローバル・コミュニティの力。知識、貿易、移民の流れを遅らせようとする勢力。これは国同士の衝突ではなく、考え方同士のぶつかり合いです。各国に、世界規模のつながりに賛同する人と、それに反対する善人たちがいます。

 

これは国連が決めるようなことではありません。もっとローカルなレベルの問題です。もし十分な数の人が生活の中で目的の感覚や安定を感じられたら、そのときには他の人たちにも心を開いて配慮できるようになります。そのための最善の方法は、地域レベルのコミュニティを構築することです。いますぐに。

 

 

ぼくたちはみんな、コミュニティから生きる意味を与えられています。自分のコミュニティが、住んでいる所であれ、スポーツチームであれ、教会やアカペラグループであれ、我々は自分がもっと大きなものの一部であり、孤独ではなく、自ら地平線を広げる力を我々に与えてくれます。

 

 

だからこそ、この数十年であらゆるグループのメンバーの数が4分の1にまで減少してきたのは大変なことなのです。つまり、それだけの数の人たちが、どこか他のところで目的を見つけなければならなくなっているのです。

 

 

でも、ぼくたちはコミュニティを建て直せるし、新しいなにかを始めることだってできます。そして、みなさんの多くがすでに実践している。

 

ぼくは、今日卒業の日を迎えた、アグネス・イゴエに出会いました。アグネス、どこにいる?(アグネスを指して)彼女は紛争と人身売買の広がるウガンダで子ども時代を過ごし、今はコミュニティの安全を保つために何千人もの法律家を育成しています。(拍手)

 

それから、同じく今日卒業を迎えたケイラ・オークリーとニハ・ジェインにも出会いました。(ふたりを指して)立って。ケイラとニハは、慢性疾患にかかっている人たちのコミュニティの中で、助けを必要としている人同士をつなぐNPOを立ち上げました。(拍手)

 

ぼくは、ケネディ・スクール公共政策大学院を今日卒業するデイビッド・ラズー・アズナにも出会いました。デイビッド、立って。彼はメキシコシティの元市議会議員で、平等な結婚制度のために闘い、ラテンアメリカの都市の中で最も早くその実現にこぎつけました。あのサンフランシスコよりも先に。(拍手)

 

 

今度はぼく自身の話です。寮の一室から、あるコミュニティをつなぎ、やがて全世界をつなぐまでそれをやり続けた学生の話です。

 

変革は足もとから。世界を変えるものごとさえも、ぼくたちのような人間のところから小さく始まります。ぼくら世代がもっとつながれるか、最大のチャンスをものにできるかどうかの闘いは、コミュニティを構築し、すべての人が目的の感覚を持つ世界を創造するみなさんの力にかかっています。

 

2017年卒業生のみなさん、あなたがたは目的が必要とされる世界に飛び込んでいきます。それを創れるかどうかはあなた次第です。

 

 

こう思うかもしれませんね。「そんなこと本当にできるだろうか?」

 

さっきの少年少女クラブでぼくが教壇に立った話、覚えていますか?ある日、その授業の後で、ぼくは子どもたちと大学の話をしていました。そしたら、成績優秀だった生徒の一人が手を挙げて、自分は無資格滞在の移民だから大学に行けないかもしれないと言いました。彼には、自分が大学に行けるかどうかさえ分からなかった。

 

去年、ぼくは彼の誕生日に朝食をいっしょに食べに行きました。彼になにかプレゼントをあげようと思って、なにがいいか尋ねたら、彼は苦労しているクラスメートたちの話を始め、そして最後にこう言いました。「だからね、ぼくは社会正義に関する本がほしいんだ。」

 

ぼくは、ひっくり返りましたよ。この若者には、卑屈になる理由なんていくらでもある。自分が故郷と呼ぶ国、彼が知っている唯一の国が、彼の大学に行くという夢を否定するかもしれなかった。でも彼は自分を憐れんだりはしなかった。自分のことなんて考えてもいなかった。彼はより大きな目的の感覚を持って、きっと多くの人々を巻き込んでいくでしょうね。

 

 

彼の名前は明かせません、危険にさらしたくないから。それがこの社会の現状です。でも、自分の将来がどうなるかも分からない一人の高校生が、世界を前に進めるためにその役割を果たすことができるんだったら、ぼくたちだってこの世界に対して自分の役割を果たす義務があります。(涙をぬぐう)

 

 

みなさんがその門を最後に出て行く前に。

ぼくはある祈りをよく思い出します、メモリアル・チャーチの前に腰を下ろしているときのように。ミ・シェベイラの祈り。ぼくが壁にぶつかるたびに唱え、娘を寝かしつけるときに彼女の将来を思って歌う、こんな祈りです。

 

「我らの前に生きた者を祝福した力の源よ、どうか我らにこの人生を祝福する“勇気”を見いださせたまえ。」

 

みなさんが、自分の人生を祝福する勇気を見いだすことができますよう、願っています。

 

 

おめでとう、2017年卒業生! 前途に幸あれ。