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『日本語教育講座〜未来を創るバイリンガルの子供たち〜』
3名のパネラーによる標記の講演会が開かれました。(ブリティッシュコロンビア州日本語教育振興会主催/会場:バンクーバー日本語学校)
以下、その書き起こしです。
パネラー
- 村武律(むらたけりつ:株式会社H.I.S.カナダ インバウンド支店長)
- 浜中都考(はまなかつよし:バーナビー日本語学校卒業生/留学エージェントオペレーションマネージャー/プロサッカー工藤壮人選手元通訳)
- サマーヴィル美保子(サマーヴィルみほこ:元グラッドストーン日本語学園保護者/カナダ人配偶者/2児の母)
司会者
今日のテーマは、「未来を創るバイリンガルの子供たち」です。
参加者の皆さんの中には、日本語教師もいれば、保護者、あるいは自身がそのバイリンガルの子どもであるという方もいらっしゃるでしょう。
自分の関係する日本語教育が将来どうなっていくのか、本日はそれを考える機会にしていただければと思います。
村武律(株式会社H.I.S.カナダ インバウンド支店長)
企業としてどういう人材を求めているのか?という話をしたいと思います。
H.I.S.カナダインバウンド支店長をしています。
日本でよく知られている店舗は「アウトバウンド」といいます。海外へ出かけていく人のためのサービス。反対のカナダに入国してくる客の世話をしているのがインバウンド支店の仕事です。
カナダ旅行は、ロッキー山脈やオーロラを見るツアーが以前から人気がありますが、最近増えてきているのは、姉妹都市交流・修学旅行・学校の英語研修+国際交流といった分野。
私たちが求める人材とは、こういう分野で活躍できる人。日本語ができて、カナダの文化にも精通している人です。
バンクーバーには40名の社員がいるが、ほぼ全てが現地採用です。
ではどんな人材が必要かというと、日本語ができることが条件かと言えば、そうでなくても採用します。
タイやインドネシア、トルコの社員は数名を除いて殆どがその国のローカルの人を採用しています。
では、日本語力でなければ、何をもって採用しているのか?
「グローバル人材」と言われるが、求めている資質とは、どれほど仕事にコミットできるかどうか。
また、日本語が重視されていないとは言え、日本語が話される仕事環境で働くことに抵抗がないか。
他の文化に対してリスペクトがあるか、寛容であるかが大切です。
航空会社の名前を知っているとか、チケット予約が難なくこなせるかというような点はほとんど求めていません。
海外支店間での人事異動もあります。それ(違う文化に入っていくこと)を柔軟に受け入れられるかどうかが大切です。
自分もカナダに20年住んでいて、5年ほど前にH.I.S.に採用されましたが、他の国をよく知っているかというとあまり知りません。
今までずっと飛行機で移動するとしても日本とカナダの往復がほとんどだからです。
それでも私はカナダに20年住んできた中で、他者の文化への寛容さというのは育まれたと思っています。
私の息子はカナダで生まれて今Grade 9(中学3年生)ですが、ドラえもんのお陰で自宅学習によって日本語は身につけてきました。
しかし、採用したいほど(仕事で使えるほど)の日本語が身についているかというと、それは無理だなと感じているところです。
ただ、他の文化への寛容さを身につける意味でも、息子には日本語学習を自宅学習であっても頑張って続けてもらいたいと思っています。
言葉は文化への入り口だと思います。
必ずしも日本語でないにしても、言語は複数を身につけるに越したことは無いと考えています。
浜中都考(バーナビー日本語学校卒業生)
カナダで生まれて育った日系カナダ人です。
家族構成をご紹介しますと、両親は大阪出身で結婚後にこちらに移民をしてきました。姉は奈良で生まれて1歳でカナダに来ました。
あと犬のポチです。
家族の中でも純粋にカナダ生まれなのは自分だけなので、家庭でもすこし違和感を感じたこともあります。
たとえば日本へ行く時、「日本に帰る」と他の家族は言いますが、自分は「日本に行く」と感じてきました。
家の中は日本語環境でした。
父は日本庭園の庭師でしたから、仕事ではほとんど日本語を話さなくても済む環境でしたので、英語はあまり話しません。
家ではテレビももっぱら日本のもので、火曜サスペンスも見ていました。
5歳の時に僕が親に「三角関係ってなあに?」と聞いたらしいです。答えは教えてもらえませんでしたけど。笑
ABCも分からないままカナダの幼稚園に入りましたが、Grade 3(小学3年生)になってやっと英語が分かるようになってきました。
日本語学校に入って日本語を勉強していたのですが、でも中学生の頃にやめたくなって親に相談しました。
すると、「日本語能力検定試験の1級をとったらやめてもいい」と言われたので頑張って受けて、受かったので13歳でやめました。笑
UBC(ブリティッシュ・コロンビア州立大学)に入学しましたが、日本の筑波大学に交換留学で行かせていただいたことがあります。
普通は留学生用の授業を受けなければならないのですが、自分は日本語能力試験1級をとっていたこともあって、他の日本人と同じ授業を受けることが許可されました。
留学の時、それまでも親戚を訪ねたりして何度か日本に行ったこともあったので、住むことにも問題はないだろうと思っていました。
でも、意外とそうでもありませんでした。
この顔で関西弁しゃべるのに大阪駅で電車の乗り方たずねることになったり、日本のマクドナルドは飲み放題ではないことを知らずに大恥をかいたり、日本のカラスはほんとにかーと鳴くと知ったり。
工藤選手(現Jリーグ・サンフレッチェ広島FW、元バンクーバーホワイトキャップス所属)の通訳のアルバイトも、日本語ができたから得られたチャンスだったと思います。
日本語が一番伸びたのは、自覚をもって勉強した小学生から中学生にかけて、日本語学校に通って学んでいた時だったと思います。
他の日本語学校の友だちの家庭と違うなと感じたのは、うちの両親が全く英語を話せなかったことです。
他の家庭は努めて日本語を使うようにしているようでしたが、緊急時とかどうしても叱らなければいけない時につい面倒になって英語を使ってしまう。
それが日本語力の伸びを鈍化させてしまったのではないかと思います。
アニメも日本のものばかり見ていて、スポンジボブとかこちらのものは小学校高学年になるまで見たことがありませんでした。
それで友だちと話が合わないこともありましたが、おかげで日本語は伸びたとも思います。
現地校では毎日英語で過ごしていて、家庭と週に1回の日本語学校では日本語を使いました。
そして小学校高学年くらいになって両方の言葉が自由に使えるようになったと思います。
その頃から親の仕事の手伝い(メールの翻訳など)をやったりすることも増えてきました。
家が日本語環境だったおかげで、僕は日本語が伸びたのだと思っています。
でも唯一失敗したのは、ペットのポチのしつけです。
日本語でしつけしたものですから、動物病院に行った時にも、獣医さんが「Sit down!!」って言っても聞かない。だから僕が「おすわり」って犬の通訳まですることになってしまいました。笑
ペットだけは英語で育てたほうがいいと思います。
ですが僕は、家庭で完全に日本語で育ててもらったおかげで、こうして今、2つの言語を使ってバンクーバーの留学エージェントで働かせてもらうことができていると思っています。
サマーヴィル美保子(元グラッドストーン日本語学園保護者)
娘が現在、日本でJETプログラム(語学指導等を行う外国青年招致事業)のコーディネーターをしています。
JETプログラムには、
ALT(英語指導助手)、CIR(国際交流員)、SEA(スポーツ国際交流員)の3つの職種があります。
そのうち、娘はCIR(国際交流員)として働いています。
自治体の役所に配属されるのですが、その条件は、現地語(カナダなら英語かフランス語)と、日本語ができなければならないというものです。
娘は大学の専攻は心理学でしたが、副専攻は日本語でした。
大学ではテストに合格すれば飛び級が認められるので、18歳の時に、21歳くらいの人たちと一緒に勉強できる環境がありました。(UBCの日本語新聞講読の授業など)
ただ、私は、娘に日本で仕事をしてほしいと思って日本語の勉強をさせてきたわけではありません。
11年間に及ぶ日本語学校通い。
自分がしてきた子育てに自信があるわけではないですが、一つだけやり遂げたことがあるとすれば、それかなと思います。
若い頃、私がカナダに来たばかりの頃、日系1世のおじいちゃんおばちゃんの傾聴ボランティアに行っていました。
そのおばあちゃんがある時、「私は子どもと話ができないのよ」と淋しそうに語ったことを覚えています。
その当時はあまりその意味が分かりませんでした。
今思うのは、生きていくのに必死で働き詰めだったので、子どもに日本語を教えるということにまでは手が回っていなかったのだと思います。
それで日本語しか話せない自分と、英語しか話せない子どもとがうまく話ができなかったという話だったのでしょう。
やっぱり子ども自身は、自分の一番得意な言葉、つまり英語で話したいし、聞きたい。
日本語を自宅で私が娘に教えていたときは、だいたい泣いていました。
そんな中で、日本語学校という助け舟に出会うことができました。
学校に学習を強制してもらえること(親は強制することが難しい)、到達度をしっかり査定してもらえること(能力試験や漢検を受けることが必須だったため)が日本語学校のメリットです。
近所の友だちと遊びたいから日本語学校を休みたいと子どもが言うことはありました。
でも、やめたいと言ったことはなかった。
もううちの子どもは日本語を勉強することが宿命だと刷り込まれていたのだと思います。一種のマインドコントロールです。笑
日本語学校に行って、親ではない第三者から褒めてもらえることもとても良かったと思います。他人から褒めてもらえると、やりたい気持ちが生まれてくるので。
娘がある時、「現地校の友だちにはなかなか理解してもらえなかったことが、日本語学校の友だちには説明しなくても理解してもらえた」と言ったことがありました。
自分と似た境遇にある仲間と出会えたことは、とてもよかったと思っています。
マイノリティという環境で育っている子どもたちは、現地校で見せる顔と日本語学校で見せる顔とでは、ちょっと違うとも思います。
自分をそのまま出せるという意味でも、日本語学校は大切な場だったのだと思います。
親や大人には教育を施す義務があるし、子どもには受ける権利があります。
私は義務と思って子どもに日本語学校に通うことを続けさせました。それが私の子育てで、唯一やり遂げたことです。
子どもは、「なんで日本語を習わせてくれたの」と聞いてくることはあっても、「嫌でやめたかったのになんで続けさせた」のと聞かれたことは一度もありませんでした。
そして言葉にはしないけれど、「日本語できるようになって得したなー」と今は思っているのではないかと思います。
Q&A
Q 浜中さんへ。日本語学校で学んでいたとき嬉しかったこと、苦しかったこととその乗り越え方は?
A テストの結果がよかった時が嬉しかったです。苦しかったのは、最初は幼稚科の時には20人くらいいたクラスメイトが、最後は4人とかになってしまったこと。でもまだその3人とは今も連絡をとっています。
Q サマーヴィルさんへ。子どもが日本語学習に拒否反応を起こしたことと、その解決法は?
A マインドコントロールがきいたのかもしれないです(笑)。宿題も習慣でやっていたと思います。テスト前は大変だったけれど。一つ言えるのは、人と比べない。そして「やめたい」と言われたらさらっとスルーする。親は強くあって下さい、でも懐は深く。
Q 村武さんへ。H.I.S.の採用条件は?学歴などは?
A 大卒だけでなく、専門卒の方もいます。高校の新卒は厳しいかと思うが、資格は高卒でもアルバイトなどで社会人経験があれば可能かと思います。
Q 浜中さんへ。ホワイトキャップス(バンクーバーのプロサッカーチーム)の通訳のバイト料はいくらでしたか?車は買えるくらい?
A 通訳1回で30ドル+試合をタダで見られます。(車は買えない。笑)
Q サマーヴィルさんへ。学校に通っていく中で友だちが次々抜けていったかと思いますが、それでも子どもを学校に通わせ続けるコツは?
A 日本語能力検定試験を受けて、資格を持たせることかなと。
Q 村武さんへ。H.I.S.現地採用者の、カナダ育ち・日本育ちの割合は?どんな能力が求められるのですか?
A カナダ生まれカナダ育ちは4-5人(40人中)です。朝礼があったり、仕事場に個室がなかったり、「いらっしゃいませ」とみんなで唱和したり。そういう日本の習慣を面白がってくれる人であれば。
Q 浜中さんへ。13歳で日本語学校やめて、読み書き能力は十分でしたか?
A 自分の場合はイレギュラーで飛び級したので、簡単な漢字がわからないけど、「顎」とか1級の漢字だけは書けたりとか、そんなことはありました。あまり参考になりませんが。
Q サマーヴィルさんへ。どうやって子どもをマインドコントロールしたのですか?
A 結婚する時にも家庭の言葉は日本語で、と言っていて、家庭の雰囲気がそうだったのではないかと思います。そういうものが行動や生活パターンににじみ出ていたのでは。私自身が「私は日本語環境の中にいたいから!」と思い続けてきたことも一因かな。
Q 村武さんへ。「日本語力を見たら自分の息子は採用できない」と言ましたが、採用のポイントはどのあたりでしょうか?
A 最低限、ですます調で話せることです。ただ、最近お客さんも寛容ですが。家庭で話すような口調で終わってしまうとちょっと仕事ではダメかな、と。
Q 浜中さん・サマーヴィルさんへ。日本語学校の友だちと普段から遊んでいましたか?それとも週1回の日本語学校のときだけですか?
A 浜中:日本語学校のクラスメイトとはクラスでしか会わなかったけど、日本語学校のサマーキャンプでできた友だちとはその時も今でも大親友です。日本語学校やめてからの方がむしろ会う機会が増えたかもしれない。
サマーヴィル:日本語学校は週1回だけでしたが、行ってそこで会うのが当たり前でした。ただ、子ども同士は、日本語力が高くても、やはりお互い英語で話していたようです。しかし、親に対してはちゃんと日本語で話していた。その切り替えはできるのだなと感心しました。
司会者
親はみんな日本語教育の初心者です。親子の関係が悪くなる前にぜひJALTAの日本語学校にご相談ください。
*BC州日本語教育振興会(JALTA)は、メトロバンクーバーにある12校の日本語学校により組織されている。以下の3つを活動趣旨に据えている。
- 日本語教師の育成。
- 教材の発掘。
- 日本語教育の振興。
在日外国人への母語・継承語教育の未来のあり方(講演の感想)
日本に暮らすフィリピン人を始めとした在日外国人(移住労働者)にも、このバンクーバーにおける日本語学校のような「週1回の継承語教育学校」という方法を提案しても良いのかもしれないと思いました。
特にフィリピン人は、ブラジル人や韓国・朝鮮人などと違って、民族学校をほとんどもっていません。
従って、母語・継承語教育をする場はおおむね家庭に限られてしまいます。
それが母語喪失(継承語の不習得)の問題につながっていると考えられます。
ただし、在日フィリピン人やブラジル人の保護者の方々は、ほとんどが移住労働者1世であり、生活のために働き詰めというケースが少なくありません。
すると、子どもに母語・継承語を身に着けさせる余裕がないし、インセンティブ(動機づけの要素)もないと思われます。
ですので、例えば、
1.日本の学校の宿題指導
2.英語学習(=日本のみならず世界中で就職に有利)
3.母語・継承語(フィリピノ語等)教育
以上の3つを1パッケージにして提供する(しかも高額な保護者負担をなるべく求めない形=バウチャー配布等の)方法で展開していけば、うまく広がる可能性があるのではないかと考えています。
その資金源は、
1.一般寄付
2.移住労働者を雇う企業からの寄付
3.行政からの公金投入(子どもの貧困対策などの予算枠から)
以上が考えられるでしょう。
母語・継承語の学習が子どもの権利であることはもちろんですが、
社会にとって移住労働者(在日外国人)の子どもたちは、とても貴重な言語資源、人材という宝ものです。
「グローバル人材の育成」を謳って早期英語教育に無闇に予算を割くだけでなく、今ある資源に目を向ける必要性も考えるべきでしょう。
その社会的インパクト(社会的コスト削減、効率化)を根拠をもって示すことができれば、特に資金源の2.と3.の流れがうまく作れる可能性も出てくるのではないかと考えています。
日本に帰国してから、こうした動きも作っていきたいと思います。
“バンクーバーの日本語(バイリンガル)教育と日系カナダ人の経験” への1件の返信